東京高等裁判所 昭和30年(ネ)414号 判決 1956年3月07日
控訴人 株式会社大村組
被控訴人 不二運輸株式会社
主文
本件控訴はこれを棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張、証拠の提出援用認否は次のとおり附加するほか原判決の事実らんに記載されたところと同一であるから、ここにこれを引用する。
控訴代理人の主張。
(一) 本件手形は訴外石川武夫がなんら権限なく控訴会社名義をもつて振出したものである。もつとも同人ははじめ控訴会社取締役としてとくに控訴会社のため控訴会社名義の約束手形を振出す権限を与えられていたが、昭和二十七年十二月二十五日右取締役を辞任し、それとともに手形振出の権限をも失い、本件振出当時は全く無権限であつたのである。
(二) 仮りに右石川の振出行為が控訴人に及ぶとしても、右石川は昭和二十八年五月二十二日当時の手形所持人であつた被控訴人に対し手形金のうち金八万円を支払い、同時に右石川武夫振出名義の額面金二十万円の約束手形をもつて代物弁済をしたから、これによつて本件手形債務は消滅した。
(三) 仮りに右主張が理由ないものとしても、本件手形は石川武夫が自己の資金の融通を受けるために訴外株式会社不二回漕店に対し振出し交付したもので、控訴会社としてはなんら原因関係を有しないものである。被控訴人は右事情を知り控訴人を害することを知つて右手形を取得したものであるから控訴人は被控訴人に対し支払の義務がない。
(四) 仮りに以上の主張が理由ないものとしても、石川武夫は昭和二十八年一月訴外金本光司(当時株式会社不二回漕店の専務取締役)から自己の資金として金二十万円を利息日歩五十銭弁済期二ケ月後と定めて借受けることとし、二ケ月分の利息を天引されて金十四万円を受取り、その支払のため控訴人名義の金額二十万円の約束手形一通を振出し交付し、次いで同年三月二十三日右金二十万円の利息として八万四千円のうち四千円を現金で支払い残額八万円と元金二十万円とを合せた二十八万円を手形金額として約束手形を振出した、これが本件手形である。右原因関係における消費貸借の利息は旧利息制限法所定制限範囲を超えること明らかで、昭和二十八年三月二十三日現在において石川の返済すべき金額は受取つた十四万円と年一割の割合による同日迄の利息金(貸借の日を同年一月一日とし二ケ月二十三日間)三千二百二十九円合計十四万三千二百二十九円に過ぎず、これを超える部分は請求し得ない筋合のものである。被控訴人は右の事実を知つて本件手形を取得した者であるから控訴人としては右金額以上の請求に応ずる義務はない。
(五) 被控訴人の旧商号が日盛産業株式会社であることは認める。
被控訴代理人の主張。
(一) 訴外石川武夫は本件手形振出当時控訴人のため控訴人名義の手形振出の権限を有したものである。仮りに振出当時その権限がなかつたとしても、同人はもと控訴会社の取締役でとくに会社のため会社名義の手形振出の権限を与えられていたものであり、被控訴人本件手形取得当時石川の取締役辞任にともなう手形振出権限の消滅を知らず、石川には依然としてその権限あるものと信じかつかく信ずるにつき過失はなかつたものであるから、控訴人は被控訴人に対し本件手形上の債務を免れることはできない。
(二) 石川の代物弁済の事実は否認する。本件手形につき控訴人と訴外不二回漕店との間に原因関係がないとの事実、本件手形金額が旧利息制限法所定制限範囲外の利息を含むものであるとの事実はいずれも知らない。被控訴人は本件手形取得当時そのような事実を知らず、またその知らないことについてなんらの過失もない。被控訴人はもと商号を日盛産業株式会社と称し金融業を営んでいたが、昭和二十八年三月訴外株式会社不二回漕店から本件手形による金融を依頼され、被控訴人は取引先の株式会社駿河銀行横浜支店を通じて本件手形の真否と振出人の支払能力等を調査した結果、手形は真正のもので、振出人の企業は現在不振であるが僅少額の手形の支払能力には懸念がないとのことであつたので、三月二十八日右訴外会社に対し右手形の割引を承諾し、手形金額から満期までの利息を割引いた残額を支払い手形の裏書を受けたものであり、全く善意無過失の取得者である。
立証<省略>
理由
原審及び当審における証人石川武夫、原審における証人太田勝栄の各証言及び本件手形であること弁論の全趣旨により明らかな甲第一号証をあわせれば、訴外石川武夫は昭和二十八年三月二十三日金額二十八万円満期同年五月二十三日振出地支払地ともに横浜市支払場所駿河銀行横浜支店受取人株式会社不二回漕店なる控訴人振出名義の約束手形一通を振出し、右訴外会社は同年三月二十六日これを被控訴人に裏書により譲渡し、現に被控訴人がその所持人であることを認めることができる。よつて右石川に控訴人のため控訴人名義の本件手形を振出すべき権限があつたかどうかについて検討するに、石川武夫はもと控訴会社の取締役で当時とくに会社のため控訴人名義の手形振出の権限を有したことは当事者間に争なく、この事実と前記証人石川武夫の証言をあわせれば、石川は右取締役当時会社の金融を得るため他の取締役と同様、振出人らんに控訴会社代表取締役井上文六名義の記名押印及び社印があり、その他の部分は白紙の約束手形用紙を与えられ、随時これに所要事項を書入れて控訴会社振出名義の手形を完成の上、これを振出して会社のため金融を得ていたのであるが、同人は昭和二十七年十二月二十五日取締役を辞任して平社員となつた後は、かかる権限を失い、本件振出当時にはその権限がなかつたものであるが、たまたま取締役当時から所持していた右のような手形用紙二枚があつたので、これを利用して本件手形振出をしたものであることが明らかであるから、本件手形はその振出当時権限のない者のした振出にかかるものであることはこれを肯認しなければならない。
しかし本件手形が石川の代理権消滅後の振出にかかるものである以上、控訴人としてはこれをもつて善意の第三者に対抗し得ないことは民法表見代理の規定(第百十二条)上明らかであるから、さらにこの点につき審究するに、原審における証人太田勝栄の証言によれば本件手形の受取人たる訴外株式会社不二回漕店においてこれを取得する当時同会社は石川の右代理権消滅の事実を知らず従来どおり控訴会社が金づまりのため各重役が担当して金融に努力しており、本件も取締役である石川がそのような関係で振出すものと信じていたことを認めるに足り、右認定に反する当審証人石川武夫の証言は信用できない。もつとも右証人太田の証言によると右訴外会社が本件手形取得の後石川から「あの手形は破つてくれ」といわれて、おかしいと思つたということがうかがわれるが、これは右取得後のことであること明らかであつて、これにより取得当時の悪意を認めなければならないものではない。そして右訴外会社が石川の代理権消滅の事実を知らなかつたことがその過失にもとずくことは、この点に関する当審証人石川武夫の証言は信用できず、その他控訴人の全立証によるもこれを認めるには十分でない。しかのみならず
およそ手形行為について民法表見代理の規定を適用するにあたつては、手形が高度の流通を担保された証券であることからそこに若干の変形を余儀なくされるものであることを肯認すべきであり、約束手形の振出人はその振出によつて受取人その他の所持人に対し直接手形債務を負担するものであり、手形が無権限の者によつて振出されたとの抗弁は振出人に対するすべての手形上の請求者に直接対抗し得べきものであることを考えれば、民法表見代理の規定における「第三者」とは振出人に対する直接の相手方たる受取人のみならず、かかる受取人からまたはその余の裏書を経て手形を取得し、所持人として直接振出人に対し手形上の権利を行使する者をも含むと解するのを相当とする。
本件において訴外株式会社不二回漕店から裏書によつて本件手形を取得した被控訴人がその取得の当時本件手形が石川の代理権消滅後の振出にかかるものであることを知つていたこと、もしくはその知らざることが過失にもとずくとの事実はこれを認めるべき証拠は全くない。かえつて当審における証人古川盛の証言と本件口頭弁論の全趣旨によれば被控訴会社はもと商号を日盛産業株式会社と称し金融業を営んでおり、その後現商号に変更したものであるが(この事実は当事者間に争ない)、訴外株式会社不二回漕店とはその呼称の類似にもかかわらずなんの関係もなく、ただ右訴外会社の事務所の権利を被控訴会社が買受けて使用したという縁故あるに過ぎず、本件手形は昭和二十八年三月末ごろ右訴外会社から割引の依頼を受け、その際右訴外会社から同会社は控訴会社の下請会社でその下請代金支払のため取得した手形である旨告げられ、その支払場所たる駿河銀行横浜支店について調査したところ手形は真正で控訴会社は不振ではあるがこの程度の手形金額については支払能力がある旨の回答を得たので、右訴外会社に対し割引を承諾して満期までの利息を手形金額から差引いた金額を支払つて手形を取得したものであつて、全く右手形は真正に振出されたものであると信じ、これが石川武夫によりしかもその代理権消滅後に振出されたものであるなどということは全く知らなかつたことが明らかであり、右事実にかんがみれば被控訴人がかく信ずるについては過失はないものというべきである。してみれば仮りに訴外株式会社不二回漕店の本件手形取得当時の事情にしてなお若干の責むべき点なしとし得ないものと仮定しても、手形所持人たる被控訴人が善意無過失たること右のとおりである以上、控訴人は被控訴人に対し本件手形振出人としての責を免れ得ないものといわなければならない。
よつて控訴人のその余の抗弁について判断するに、本件手形はその後石川武夫振出の手形によつて代物弁済せられたとの事実(前記控訴人主張(二))は、この点に関する当審証人石川武夫の証言は当審証人古川盛の証言と対比して容易に信用できずその他これを認めるべき的確な証拠はないから、右抗弁は理由がなく、また本件手形には控訴会社としてなんらの原因関係がない旨(同控訴人の主張(三))及び手形金額中には旧利息制限法所定制限範囲外の利息債務を含む旨(同(四))の各抗弁は、この点につき被控訴人の本件手形取得が善意無過失なることを前認定の手形取得事情及び当審証人古川盛の証言により明らかである本件において、いずれも被控訴人に対抗し得ず、被控訴人の本訴請求を拒むべき事由とはならない。その余の抗弁については控訴人のあえて主張しないところである(成立に争ない乙第一、二号証の記載、当審証人古川盛の証言及び弁論の全趣旨によれば、本件手形金額に対しては被控訴人の自認する元金八万円の弁済のほか一万三千円の弁済のあつたことはこれを認め得るが、右は満期後の日歩四十銭の約定損害金の支払に充当されたこと右証人古川の供述から明らかであつて、本件における原判決認容の限度における請求金額には影響がない)。
しからば控訴人は被控訴人に対し右手形金額から被控訴人の自認する内入金八万円を控除した残額金二十万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和二十九年五月二十八日から支払ずみまで手形法所定年六分の利息金を支払うべき義務あること明らかである。よつて被控訴人の本訴請求を原判決認容の右の限度で正当として認容すべく、原判決は相当であるから本件控訴は理由のないものとして棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 藤江忠二郎 原宸 浅沼武)